自然の成したるものを、自らの手柄であるかのように、それを磨いたり隠したりするのではなく、ありのままをただ受け入れて、花が咲き、枯れてゆく事象のままに、ここに在ればそれでいい。

 土手は、空と陸とを分かち、こちらの側と向こうの側とを完全に隔てている。

 貼り付けたように移り変わる、この世界の表層だけをみて、今日の日をここで生きられたなら、それでいい。

 生まれて、生きて、死ぬ。

 単純な出来事が、この世界を作っている。

 わたしは、この生のはじまりを知らないし、おそらくは、この生の終わりを知ることもできない。ただ、誕生と死のあいだの、この限られた時間の中を「私」という曖昧な現象が、うつろっているにすぎないのだ。

 誰もが、私は、「この「世界」を生きている」と思っている。

 けれでも、"私"という存在が、"一人称"として、この世界の渦中にあるのだという考えさえ、手放してえば、本当は、この世界が、「私とは何らかかわりのないところに存在している」ものだと気づくのだ。

 わたしたちは、私がいなくなっても、なんら変化の起こらない世界の中にいて、その世界は、私とは何も関わることなく、永久に存在し続けていく。

 スタート地点もないが、終わることもない、その世界の表層だけをみて、私は私の"始まりと終わりの間"を生きている。

貼り付けたように移り変わる、この世界の表層だけをみて、今日の日をここで生きられたなら、それでいい。

山本 真紀子

境界

視界を遮る
この小高い土手の向こう側に
いったい何があるのだろうか。
私は答えをもっていない。
貼り付けたように移り変わる、
季節の表層だけをなぞって
”今日の日”を生きた。
ただ、それだけのことだ。
土手は、空と陸とを分かち、
こちらの側と
向こうの側とを、完全に隔てている。
私は今日も、
この壁の表層だけを見て、
そして、生きた。

Border

What is there over the slightly elevated bank obstructing the view?
I don’t have any answer.
Tracing the surface of the changing seasons
as a familiar pattern
I was alive on “A day called today”
Simply that is all.
The bank has divided the sky and the land
and also separated this side from the other side perfectly.
I saw only this surface as a wall
while I was alive today.